ブレードランナー2049 を観る意味
久々の投稿。
先日ブレードランナー2049を観賞しました。これは記録に残さなければと思い、このブログを使わせてもらいます。
ドニヴィルヌーブ監督によるSF映画。前作は知りませんでした。まだ前作を観れていないので、映画好きからしたら、無礼を承知で観てきました。前作を知っていたらそれはそれはいいレビューを書けるのだろうけれども、今の段階では諦めました。
ヴィルヌーブ監督作品自体、2作目ですが、語ることは多いかと思い筆を取ります。
前置きはこの辺で。
2049年のロサンゼルスを舞台にした近未来SF作品。あらすじは、どこにでも載っているので省略。
SF作品といえば?
雑誌の特集でも最近取り上げてられてます。
pen、ブルータスなど。
さて、この作品の面白さとは何だろう?
この作品のテーマの一つが、人間とレプリカント(ロボット)の境界線。何が人間で何がロボットか。レプリカントの開発・改善が進む中で、その境界線は曖昧化していく。そたした状況下、人間とレプリカント、新型レプリカントと旧型レプリカント、企業と警察(秩序)の間で、対立点が浮き彫りとなり、主人公のKを中心にその優劣を示す場面が次々と見せつけられる。
そして、ラストシーンを終えた時、世界は平和や秩序が保証されるわけではない。むしろ秩序が崩壊した混沌の中で、大切なものとは?と考えさせられる。
厳しい現実、複雑な社会で生きていく時に、何が大切であるのか。登場人物の行動を理解し、あるいは同化し、あるいは異化し、作品観賞にとどまらない広がりが生まれてくる。そこまで言うのは言い過ぎだろうか?笑
おわり。